またまた東京スカイツリー
毎週日曜日はサイクリングデーだ。
年のせいか週1回走り回るだけなのにしっかりと慢性の筋肉痛だ。
筋肉痛に筋肉痛が重なり毎日の生活も辛い。
でもやめられない。
ひさしぶりの東京スカイツリーの工事現場だ。現在398m。
第一展望台は外観上はほぼ仕上がったようだ。
スカイツリーの脇を抜けてどんどん隅田川方面へ向けて
自転車を走らすと東向島に出る。
鳩の街という小さな商店街がある。昔の赤線街だ。当時の娼館の名残をとどめる建物が数多く残っている。
道幅の狭い商店街の更に狭い路地をあちらこちらうろうろと走り回って見つけたのが幸田露伴の文学碑。
小さなほんとうに小さな児童公園の隅っこに建っていた。
春への想い
空はあくまでも青く、さわやかな東風がまとわりつき。
澄んだ空気は気持ちよく、陽は穏やかに照り輝く。
これが春のイメージ・・・だけど。
毎日雨が降り続き、寒い。冷たい。
今年は春は来てくれないのだろうか。
このまま梅雨を迎え、一気に夏へと突入してしまうのだろうか。
それはあまりにも寂しい。
新党
「たちあがれ日本」という新党ができた。平均年齢70歳弱だそうだ。
「立ち枯れ日本」と呼んだひとがいた。TVで。同じ政治家が。
我々無責任な野次馬が言うのならまだしも、
同じ政治家が言うとは!
もっとも、彼にしても聞き間違えたらしいのだが。
願わくは本当に元気な老人たちで日本を立ち上がらせてくれたら、とは思う。
いまこの時に消費税増税を主張するものと憲法改正を策するもの、
二人が二人とも的を射ているとは思えない。
東京スカイツリー
久しぶりの青空。絶好の行楽日和。
なのに「山ノ神」様のお許しは出ない。「山ノ神」様は今日は家でゴロゴロなのだそうです。
仕方がないので一人でサイクリングを決め込んだ。
大川を渡って日本橋界隈をうろつこうかと考えていた。
けれど体力は大横川までだった。
大横川沿いの寺院の庭を盗み見しながら北上すると、最後は北十間川にぶつかる。
以前は薄暗い汚い川だったけれど、今は護岸され化粧を施され
大変きれいな川に見える。
なんといってもこの界隈はこれから世界的観光地に変身していかなければならない。
というよりすでにもう大勢の人々がカメラ片手にやってきている。北十間川の南土手から東武橋にかけて交通渋滞を起こすほどの人波である。
被写体はなんとまだ未完成の<東京スカイツリー>だ。
まだ311m。完成時の半分に満たない。しかも上も下も重機だらけ。美しい写真になるとは思えない。
でも足を広げて立つ雄雄しい<東京タワー>に比すと、スマートで行儀のいい着物美人の片鱗が覗える。
いずれにしてもこれだけ多くの人々とともにカメラを構えて見上げていると、それだけで行楽気分になってしまう。
四季
"暑さ寒さも彼岸まで"
彼岸まではまだ2週間ほどある。
ここ2~3日暖かい日が続いた。
だがまだ油断はできないということだろう。
暑い日寒い日が交互にやってきて着るものに苦労し、風邪にも要注意だろう。
そうは言ってももう梅の花は咲き始めた。桜だってすでに咲いている種類のものがある。
彼岸前でも春は確実に近づいているようだ。
そう思うとそれだけで外に出ると春の香りを感ずることができるし、
心わくわくする。
これは春だけに感ずるのではなく四季折々の気候の変わり目に感ずることであって、
いつでも季節の変わり目には次にくる季節に対する期待感と言おうか
希望と言おうかそんなものが私の心を膨らませてくれる。
日本に四季というものがあって、こんなうれしいことはない。
占い
占いを信じている人は少ないだろう。けれども朝のワイドショーなどでは各局とも<今日の運勢>として占いを取り入れている。占いは人気があるのだ。
今日の牡牛座は好運に恵まれますとか今日のO型は絶好調ですとか言われると、なんだかうれしくなるものだ。誰もがきっとそうだろう。テレビの占いをみて一喜一憂する。むしろ一喜一憂したいがためにテレビの占いを見てしまう。今日の牡牛座が、又は今日のO型が「わたし」のことではないのは緋を見るよりも明らかなのだが、きょうのあなたの運勢ですよ、と言われているような錯覚を起こしてしまう。
しかしながら占いそのものを信じているというわけではない。それが証拠には、となりで占い番組を真剣に見ている人間を、あるいは占いを見て一喜一憂している人間を「わたし」は馬鹿にしているからだ。<占いなんてくだらねえよ><占いなんて当たるわけねえよ>
大勢の牡牛座の人の中には不運にも今日交通事故に遭遇する人がいるかもしれない。大勢のO型の人の中には今日仕事でミスをして上司にさんざんどなられる人がいるかもしれない。ひょっとしたら「わたし」がそういう人だということもあり得るのだ。
そんなことを考えつつ今わたしはタンスの中を引っ掻き回して、今日の幸運の色のブルーのソックスを懸命に探しているところだ。
七五三
きれいなおべべを着た子供をたくさん見かけた。七五三を祝う日だそうだ。三歳と五歳の男の子、三歳と七歳の女の子が着飾れるのだそうな。
何十年も昔のことになるが、私はこんなお祝いしてもらったことがない。私には四歳年上の姉と二歳年上の兄がいる。つまり、兄弟打ち揃って祝ってもらえる年が一度はあったわけだ。そして、その年の事を私は鮮明に覚えているのだ。
姉は七歳帯解きの儀、兄は五歳袴着の儀。私も三歳髪置きの儀のはずだった。姉と兄はきれいに着飾っていた。けれども私にはきれいなおべべなどなかった。
「おかあちゃん、僕のは?・・・」「三歳は女の子のお祝いなのよ。残念ながらあなたは男の子でしょ」こうやって母親にだまされ、悔し涙にくれながら明治神宮にお参りした思い出が残っている。
その時は私は母親の言を信じた。そして大人になるまでずーっと三歳は女の子のお祝いだとばかり思っていたものだ。
確かに家は貧しかったように思う。きっと貧しいからとは言えずについたうそなのだろう。けれども知ってしまったらどうするつもりだったのか。私が知ったのが遅かったから良かったものの、罪作りな母親ではある。
栃木への旅
栃木県出身の漫才コンビ「U字工事」が盛んに栃木県の宣伝をしている。テレビ電波を使って宣伝するものだから、「U字工事」ブームと相俟って栃木ブームもメジャー化した感がある。
そんなこともあって連休の1日を使って妻と栃木市の「蔵の街」を見に出かけた。連休なものだから東武電鉄の特急は皆満席。仕方なく快速電車で立ったまま2時間ほど揺られたものである。栃木市そのものは昔県庁所在地だったとはいえ、今は特記するようなもののない町だ。駅を出ても連休とは思えない静けさの中にある。
駅前の道は広くてとてもきれいだ。高い建物がなく、見晴らしの良い町並みといえる。けれどもしばらく歩き、いわゆる「蔵の街」に差し掛かってくると一挙に人の数が増える。ほとんどが観光客のようである。そういえば2日前にもテレビで「蔵の街」周辺を特集していたのを私も見た。お店の人に話を伺うと、大概の観光客の方がテレビで見たものだから来てみたんだそうだ。テレビの影響力を見せ付けられた感がする。
マスメディアの影響力の素晴らしさと、反面の恐ろしさを感じてしまった旅でした。
惣領の甚六
江戸いろはがるたに「惣領の甚六」というのがある
これはほめ言葉なんだろうか、それとも悪口の部類にはいるのだろうか
惣領とは言うまでも無く跡取りのことであり、
通常長男を指す
甚六は、本当にそういう名前の人が居たらゴメンねだけど
おっとりぼんやり世間知らずなどの代名詞となっている
跡取り息子の長男が生まれると、
珠のように大事に大事に扱い甘やかし
自分からすすんで動けない世間知らずのぼんぼんにしてしまう
惣領息子本人は甚六として生まれてきた訳ではないけれど
繰り返し継ぐべき家名や財産や
生かしてやらなければならない家の子たちのことを吹き込まれ
萎縮をしてしまう
自らが甚六への道を歩んでしまうのだ
長じてもなお石橋はたたいて渡るであろうし
当代の棟梁が元気なうちは決して棟梁より前にはでない
棟梁のやるとおりにやることが唯一の道であり
財産を増やせずとも減らさない方法と思っている
したがって責任感と言うものも芽生えてくる
もちろんあくまで棟梁に対する責任という感覚なのだろうが
一方次男以降は普通庶子というが
家名も継げなければ財産も継げない
したがってシャカシャカと自分で動き
将来の生計のことを考えなくてはならない
しかも無からはじめなくてはならない
石橋をたたいてみる余裕など無い
だから少々無茶無理をしてしまうことがある
つまずいても余裕が無いから次のつまずきを生んでしまう
そうなると坂道を転げ落ちるようなことになりかねない
こう考えてみると惣領という存在はやはりうらやましい
楽に社会に溶け込める
「惣領の甚六」とはどちらかといえば
ほめ言葉のようだ


















